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菌に選ばれ、複雑性と踊る。川場村・土田酒造が見据える「人間と菌の未来」

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群馬県川場村。村の面積のうち約8割を山林が占める自然豊かなこの村では、米や果物、野菜など様々な作物が伸び伸びと育ってゆく。この広大な田園風景を抜けた山の中腹に、土田酒造はある。

地元の人にとって親しみ深いのは、誉国光(ほまれこっこう)という地酒だろう。しかし現在、この蔵からは誉国光のみならず、世界中の日本酒ファンに愛される個性的な日本酒が次々と生み出されている。6代目蔵元(代表取締役)である土田祐士さんは、「究極の日本酒を作りたいんです」と、柔らかな笑顔で語ってくれた。

6代目蔵元・土田祐士さん

時代に取り残された造り方

土田酒造の最大の特徴は、伝統的な酒造りの手法である「生酛(きもと)造り」を全面的に採用していることだ。これが日本酒業界においていかにイノベーティブであるかを理解するために、まずは一旦、酒造りについて簡単に解説しておきたい。

日本酒のもととなる酒母の造り方には、大きく分けて「速醸(そくじょう)造り」と「生酛(きもと)造り」そして生酛造りから派生した「山廃(やまはい)造り」の3種類がある。

日本酒は言わずもがな、米をアルコール発酵させてつくる酒だが、この発酵の際に重要となるのが、乳酸菌から生まれる乳酸だ。

乳酸には、日本酒にとって必要のない雑菌から守る(を死滅させる)役割がある。この乳酸を人の手で添加するのが「速醸」。自然に棲みつく乳酸菌をうまく取り込んで乳酸を得るのが「生酛」。そして、生酛に必須である米をすり潰す山卸(やまおろし)という作業を廃止した、(麹の力で発酵させる)手法が「山廃」だ。

最も歴史があるのは、昔ながらの手法である生酛。自然の力を活用して日本酒を造るこの手法は、狙いどおりに仕上がらないリスクがある一方、味わいに複雑性やワイルドなコクが生まれるという幅を持ち合わせる。

対して速醸は約110年前に開発された新しい手法。出来合いの乳酸を添加するので、大量生産時のコストを抑えることができ、品質も安定化する。現在一般的となっているのはこの速醸で、土田酒造も例に漏れず速醸造りで日本酒を造る蔵のひとつであった。

「生酛はダイナミックな菌の移動が必要で、とにかく手間がかかります。菌が降りてくるかもわからないので、『今年はお酒ができませんでした』なんてことも有り得る。時代に取り残された造り方だったんです」

しかし2017年、土田酒造は速醸での酒造りを完全に取りやめることになる。

「自分たちが飲みたくなるものを造りたい」

土田酒造の創業は、約114年前。土田家の生家は新潟・長岡にあり、先祖が生業を求めて沼田市に流れ着いたことから始まった。創業まもなくから旅館業などの事業を経て、最終的に酒蔵に落ち着いたのだそうだ。そして平成に入り、市街地開発の影響を受けて川場村に移転し、現在の場所での経営が始まってから約30年が経つ。

大阪で会社員をしていた祐士さんは2003年に土田酒造へ入社し、2008年には蔵元に就任した。自ら旗を振りながら酒を造る中で、祐士さんは業界で「常識」とされていることに疑問を持ち始めた。

「日本酒のラベルには原料について『米、米麹、水』とだけ書いてあっても、実は味や香り、色を整えるために様々な添加物を入れることが多いんです。そのことに後ろめたさがありました。また、日々の中で食品添加物の入ったものを口にすることはありますが、現場でドボドボと投入する様を見ていたら、これは飲みたくないな、と思ってしまったんです。入れなくてもいいんだったら、自分たちが飲みたくなるものを作りたいなと」

「さらに地方人口の母数は減り、日本酒を好む方々の割合も下がり続けている。業界全体を通して売上が右肩下がりになっていました。とくにリーズナブルなお酒が売れず、大量生産・大量消費のモデルが適用できない時代に入ったんです」

このままやっていても、緩やかに廃業に向かうだけ。地元で評価されなければ、当然県外や海外に評価されることもない。どうせだめになるなら、いま賭けてみればいいんじゃないか。そう思った祐士さんは、2017年に「速醸での日本酒造りをとりやめる」という大胆な方向転換を行なった。「自分たちが飲みたくなる、うまいものを造りたい」、その気持ちに誠実に向き合い続けた結果だった。

大失敗から生まれたお酒「イニシャルF」

酒母をもとに出来上がった醪(もろみ)

先述の通り、生酛造り・山廃造りでは天然の菌を使って乳酸を作り出す。しかし、そもそも自然界には多様な菌が生息しているうえ、もちろん彼らは目に見えず、さわれない。狙った菌だけを繁殖させることは至難の業だ。大胆な方向転換を図った翌年、さっそく望まぬ菌が繁殖してしまうというアクシデントが発生した。

「このとき、現場は『こんなもの作っちゃって……』とめちゃくちゃ落ち込んでいました。でもお金だけの話なら取り返せるから経験として活かそう、あとであの時があってよかったねと言える時が来る、と言い続けて。まさにアクシデントが僕らを強くしたんです」

酒蔵に棲む菌たちからのサプライズギフトにより生まれたこの「お酢のような酸っぱい液体」は、蔵人たちの努力により「日本酒」へ昇華し、「イニシャルF」という名で瓶に詰められて販売された。

「イニシャルF」は期間限定で販売されていた。まるでヨーグルトのように甘酸っぱく、日本酒であることが信じられない味わいだった

イニシャルFの評判は口コミでじわじわと広がり、普段日本酒をあまり飲まない層や若者にも人気のお酒になった。県外の酒屋や海外からのオファーもあり、土田酒造にとって伝説と言ってもよいほどのインパクトを残すこととなった。

その後、2019年には全量を生酛化し、使用する米の総量のうち99%を米麹で仕込んだ「Tsuchida 99」、実験的な酒造りに挑戦する「研究醸造」シリーズなど、リスキーかつユニークな日本酒を頻繁に販売している。

この取材を行なった2021年もまた、菌たちの自由さに翻弄されたという。

「これまでは乳酸菌が『来づらい』ということはあっても、最終的には100%来ていたんです。でも今年は、来ないという日が想像以上に長かった(笑)。今まで、こんなことなかったんですよ。こういったアクシデントの対処法は教科書やインターネットには載っていないけれど、今の私たちには経験がありますし、『こういうことがないと、うちらしくないですよね』と面白がってくれる心強いスタッフたちが居ます」

多くの酒蔵は、「まずは商品にならないと」と言うのだそう。しかし、既存の枠組みの中で小さく工夫するだけではイノベーションは起こらない。全ては、「複雑であること」や「わからないこと」を面白がり、偶発性に存在するリスクを取ることから始まる。

そもそもアクシデントを完全に避けることを優先するのであれば、様々な添加物によって品質をコントロールしてしまったほうが楽でコストも抑えられるわけだが、土田酒造はそうしない。なぜなら、目指している場所が「遥かに高い山の頂点」だからだ。

「究極の日本酒」=「最高のDJ」

日本酒というジャンルにうっすらと染み渡っている通念として、「高価な米を、よりたくさん削って造った酒ほどうまい」といったものがある(よく耳にする「吟醸」や「大吟醸」という言葉は、米の削り具合を示すもの)。いわゆる高級路線だ。しかしこのレースは原価勝負であり、いずれは天井にぶつかる。

「原価を高くすることで、ある程度まで金額を上げることはできるんですけど。なぜこの原料を使い、なぜこの手法で造り、それがなぜ面白いのか等をロジックで説明できないと、価値は頭打ちになります。

『削らない米で造った酒は雑味が多く、米が水に溶けづらいので味が薄い』という常識みたいなものがあるんですが、それは技術上の課題だと思っていて。米の複雑な旨味を美味しく活かすことは絶対にできるし、それによって日本酒の価値がブレイクすると思うんです」

米の荒々しい旨味が凝縮されている自信作「シン・ツチダ」

実際に、現在の土田酒造を代表するお酒「シン・ツチダ」や研究醸造シリーズの最新作「Data 15」は米をほぼ削らずに造られている。

「どんな食事にもマッチする、『究極の日本酒』をいつか造ってみたい。そんなものが存在しないことは分かっているんですが、目指す場所はそこです。

日本酒は食事におけるDJのようなもので、食べ物とコミュニケーションを相乗効果でアゲていって、最終的に満足して終わる……といった現象が起こせるお酒なんです。造り手の精神は酒に伝わる、と言いますから、まずは私たち自身がポジティブであることを忘れず、菌たちに進んで仕事をしていただきたいですね」

菌に、人に、選ばれる存在に

「何がサステナブルかって、次の世代に選ばれるかどうかなんですよ。今お金が入ってくるかどうかではなく。将来的にもっと面白い職業がたくさん出てくる中で、大人が面白そうに働いてるとか、他とは違うものを作ってるところが選ばれて、持続するんだと思います。

時間を忘れてのめり込むことって、幸せじゃないですか。まずは自分たちが楽しまなきゃダメなんです。そのためには所得も大事で、『こんな面白いことをやりながら、やっていけるんだ』と思ってもらいたい」

実は、祐士さん自身もそうだった。土田酒造に入社する以前は大阪の大手ゲームメーカーでゲームを作る仕事をしており、もともと家業を継ぐつもりは全く無かったというが、酒造りの面白さに惹かれて自ら引き継ぐことを選択したのだ。

「たまたま実家からもらったお酒を飲み会で振る舞ったら、みんなが美味いって言うんですよ。そういえば酒造りのことを全然知らなかったな、と思って実家に帰って現場を見てみたら、興味が出てきてしまって(笑)」​​

祐士さんは土田酒造の蔵元であるとともに、2012年までは酒造りの最高責任者である杜氏(とうじ)も務めた。現在の杜氏は星野元希さん。祐士さんは星野さんにその役割を引き継いだ後、「星野くんの一番の応援団」として見守っている。

土田酒造のロゴは「土」の象形文字。農薬・肥料がなかった時代、人々は土にお酒をふるう願掛けで豊穣を願った

人間と菌。サイズも中身も異なるが、生き物として共通していることがある。それは、快適な環境で輝く、ということだ。菌は誰にも指示されていないのに、自分に正直なほうを勝手に選び増える。私たちが何かの持続を望むなら、押しつける、強要する、変えようとするのではなく、多様な存在を認め、予測できないはずの変化を受け入れる器を持つことから始めたいと思う。

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