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時と風が育む美味しさ。みなかみ町・育風堂の自然と歩む「生ハムづくり」

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群馬県を流れる利根川の最上流、豊かな自然が雪化粧されたみなかみ町へ取材に訪れた。凛とした空気を吸い込むと、肺の奥まで寒さが沁みる。精肉店でありハム工房として有名な「育風堂」は、この澄んだ空気を活かした食肉加工を行っている。

お店の創業は60年ほど前。もとは水上駅の近くで、宿泊業向けの精肉店として事業を営んでいた。

「もともとは祖父がお菓子屋さんを始めようと思っていたそうですが、近くに肉屋がないからと精肉店を始めたのが最初です。祖母が隣で定食屋をしていて、今もレストランで出しているカツ丼は、その時からあるメニューだと聞いています。お客さんはほとんどJRや役場の方など、近くの人が来てくれるような店でした」

お店の歩みを紹介してくれるのは、現在3代目を務める須田 麻紀夫さん。精肉店だった「育風堂」を現在の形へと変革した、国産生ハム「はもんみなかみ」の生みの親である。

「育風堂」では群馬県産の黒毛和牛「増田和牛」や、群馬県産の銘柄豚「ぐんま麦豚」を使用した生ハムやジャーキー、ハムやベーコンといった食肉製品を生産している。こだわっているのは原材料と作り方。美味しく安全な国産の材料にこだわり、日本人の口に合う味わいを目指して仕上げているという。

「使う添加物は最小限にし、増量材を使わず、お肉の美味しさにこだわってつくっています。ポイントは国産の原料を選び、種類を混ぜずに使うことですね。美味しい肉を美味しいまま加工することを心がけて作っています」

「肉屋」をクリエイティブする

現在では国内でも良質な生ハム工房として知られる「育風堂」。食肉加工を始めたのは平成14年頃、須田さんが家業を継ぎ、数年経った後までさかのぼる。

「家を継いだきっかけは、父が体を壊したからですね。それまで僕は音響が好きで、PA(音響機器の操作や調整を行うエンジニア)としてコマーシャルを制作する仕事をしていました。音響効果を作ったり、趣味でDJをしたり。当時は作曲もしたかったのですが、忙しい業界だったので思うように音楽活動ができない状況でした」

「だから家の仕事を継ごうという気持ちよりも、音楽をしたくて実家に戻ってきたというのが正しいかもしれません。コマーシャル業界にいてはとても作曲をする暇がなかったので、精肉店の仕事をしながら曲を作ろうと思いました。今は家を継いで25年ほどになります。小さい頃から肉屋の仕事は手伝っていて、今までのように働きたくないという気持ちはありましたね」

クリエイター気質な須田さんは、音楽に限らずものづくりへの愛が深い。家を継いだ当初は昼に精肉店の仕事をし、夜は作曲をする生活スタイルだった。ところが精肉店の仕事を続ける中で、自然と商品や働き方にも興味が湧いてきたという。「育風堂」の商品開発は、須田さんのこうした作り手の眼差しから一歩を踏み出したのだった。

「精肉店はどのお店も同じ肉を扱うので、他店と差別化することの難しさを感じていた頃でした。お肉の利益を削って安く卸すのは嫌だったし、どうせなら自分たちの商品を作って食べたいと思うようになって。最初に作ったのは、ジャーキーでした。本を買ったり、インターネットで調べたり、何もわからないところからスタートしたんです」

機械もなく、レシピもない。ゼロから出発した「育風堂」の商品作りは、まさに試行錯誤の積み重ねで生まれている。

「玉ねぎを擦りおろして、オーブンで焼いて……と完全に手作りです。今は機械のおかげで効率化できていますが、当時は大変でした。作れる量も限られていたので、少しずつ生産して、店頭で売っていましたね。それが今から20年ほど前のこと。生ハムを作るようになったのは、その後でした」

みなかみ町の自然が育てる生ハム

現在では「育風堂」を代表する看板商品となった、熟成生ハム「はもんみなかみ」。多くのファンを虜にする商品が生まれるまでは、どのような道のりがあったのだろうか。一から独学で生ハム作りに取り組んだという、須田さんと生ハムのお話を伺ってみた。

「生ハムを作ろうと思ったきっかけは、スペインのイベリコベジョータを食べたことです。『こんなに美味しい生ハムがあるのか!』と感動するほど、今まで知っている生ハムとは違った美味しさに驚きました。一口に生ハムと言っても、短期間で作れる安価な物から長期熟成された物まで、種類は様々あります。『はもんみなかみ』が目指している味わいは、肉を長期熟成させるイタリア・スペインの製法で作るもの。原料は塩と豚肉だけで、熟成香が特徴です」

生ハムの本場で飼育される豚・イベリコベジョータとは、どんぐりを食べて育った黒豚のことで、とろける脂身の甘さが特徴的だ。日本で一般的な生ハムであるドイツ系の「ラックスハム」と比べ、「ハモンセラーノ」や「プロシュート」と呼ばれる生ハム作りには1年から3年の年月を掛ける長期熟成が行われる。

温暖で湿度の高い日本において、生ハムの長期熟成には「環境管理が難しい」という問題があった。ところがみなかみ町の緯度はスペイン・グラナダと同じ北緯37度。須田さんはこの気候を活かし、自然を活かした生ハム作りに挑戦していった。

「長期熟成する生ハムはスモークを行わず、 お肉を塩漬けにして吊るし、表面にカビを付けながら熟成させます。日本ではこのカビを使う作り方が問題になったようですが、味噌や醤油と同じで、発酵の力を借りてお肉を熟成させているんです。特徴的な熟成香や熟成味は、この菌によって変化すると言われています」

「僕は発酵させる酵母をコントロールせず、自然のまま作るようにしています。基本的には外気を入れて、みなかみの気候だけで作るんです。今は塩が凍ってしまわないよう、最初の工程を安定させるための温度管理だけして12か月熟成させています。冬場はマイナス10度以下になりますからね、みなかみの気候はワイルドすぎるんですよ(笑)」

雪に覆われたみなかみ町で“時”と“風”が育てる「育風堂」の生ハム。熟成期間中は味見をすることができず、「キズを付けると乾燥してしまうので、匂いだけで熟成度をチェックしています」と職人の経験が語られた。

「何度作っても、一本一本味が違っていて生ハム作りの奥深さを感じます。特に原料は難しくて、群馬県産の麦豚は三元豚ですから、イベリコベジョータが出す黒豚の味わいとは全然違うんですよね。最近吾妻で『超力豚』という黒豚を育てている人がいると聞いて、昨年仕込んだものを今寝かせています。サラミの開発もそうですが、やはり“今はないもの”を作ってみたいと思います」

生ハムの美味しさについて須田さんに話を聞くと、「切りたてが一番美味しいですよ」と教えてくれた。スライスしたばかりの生ハムはナッツのような甘い匂いが香り、食べれば口から鼻へ旨味がぐっと伝わってくる。「育風堂」の名の通り、みなかみの大自然が育てた美味しさが商品に込められていた。

音楽と仕事 カルチャーが支える暮らし方 

既存の「肉屋」を脱却し、新たな美味しさを生み出す「工房」として進む「育風堂」。須田さんは自身の取り組みを「ハムづくりも音楽も、根本は同じですよ」と振り返る。

「作っていくことが好きなんですよね、音楽も商品も。足したり引いたり調べたり、完成までのプロセスを一つ一つ手掛かりを集めて進むのが楽しいんです」

元より作曲に興味があり、クリエイターとしても活躍してきた須田さん。目の前にある素材や環境の魅力を引き出し、新しい価値を作り出す志はブレることがないという。

「中学生の頃から『サンレコ』を読んで、高校生くらいから作曲をしていました。PAになることを決めたのは、その頃です。群馬にはそうしたカルチャーが育っていて、パンクやハードコアをよく聴くきっかけをもらいました。その後、東京の青山にあったクラブ『MANIAC LOVE』でハードテクノにであって、曲作りをしたいと思うようになったんです」

「海外の好きなアーティストに音源を送っていたら、お店を移転オープンさせるタイミングで『曲をリリースしたい』と声を掛けてもらいました。今は店が忙しくなっちゃって遊び程度ですが、バンドをするスタッフもいますし、子どもをプロデュースしようと考えています」

 「音楽の面でも、仕事の面でも、群馬には“全うできる環境”があると感じています。新しいものを探して、日本人に合うように作り変える……狙って今に至るわけではありませんが、好きなことを突き詰めていった結果が、たまたま生ハム作りなどに繋がったのだと思います。」

「(ここまで進んできた理由は)好きだから、楽しいからですね。実はハードをいじるものづくりも好きで、昨日はずっと自作の音楽スタジオでワイヤリングのはんだ付けをしてました。何万ポイントもあって大変なんですけど、楽しいですよ」

道なき道を進み、クリエイティブな活動の原点となる音とのエピソードを語ってくれた須田さん。ものづくりの楽しさを胸に、家業と夢を両立する取り組みは「私らしく生きる」ことの大切さと楽しさを教えてくれる。

谷川岳から吹き下ろされる「からっ風」は厳しく冷たいばかりでない。ここでしか育たない美味しさを自然と共に作る楽しさは、これからも予想できない驚きと喜びを私たちに教えてくれることだろう。

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