「郷土学習のすすめ」 ~アンカンミンカン富所哲平~
自分の生まれ育った土地の歴史を学ぶ「郷土学習」。改めて、すごい大事なことだと思うんです。なぜならば、郷土の歴史・ルーツを知ることは、自分自身のルーツを知ることにつながり、自分自身のルーツを掴むことは、自己肯定感につながります。自分を肯定する、自分を愛せているから、人に尽くす、社会に何かを為すことができる。そんな風に考えることができます。
郷土学習の大事さを語ったところで、自分が、郷土について学んだ記憶をたどると、大間々の商店街にある常夜灯についての学習を思い出します。当時、小学生だった僕たちは、街に残る常夜灯を見学に行きました。常夜灯を前にして、それなりの説明を受けて、「勉強になった。大切だと思った。大事にしていきたいと思った。」と。ただただ大人の空気を読んで、全力で気を遣って、感想文を書きました。これが実際の、郷土学習のリアルではないでしょうか。
僕が郷土学習の本質に出会ったのは、大人になってからです。その昔、足尾の銅を運ぶための街道として栄えた大間々。その大間々で、旅人たちへのおもてなしの灯り、道しるべとなったのが常夜灯でした。また別の側面として、街のお金を持ってる人の見栄や、町会同士の競い合いの要素があり、通常、大きく派手に造られることが多かったのが常夜灯だそうです。
ある日、大間々にやってきた歴史研究家の方のお話を聞く機会を頂きました。興味深かったのが、大間々に今も4つ残る常夜灯に共通する特徴の話です。
「大間々に4つ残る常夜灯は、大きさも、デザインも、似ています。ここから言えるのは、大間々という町は、”まちづくり”という一つのビジョンにおいてコミュニケーションをしっかり取って、調和を大切に、抜け駆けなく、仲間はずれのない、協働の町づくりができていたってことが言えるかもしれません。」
こんな町から生まれ育った僕たちは、お友達を仲間外れにするようなつまらないことが許されるでしょうか。
郷土を学ぶと、先人たちの残してくれた守るべき価値が必ず見つかります。
『いま僕たちが、豊かで便利な生活を送れているのは、50年前に、先人たちが種をまき、水をやり、育んできた、”積み重ね”のおかげ。では僕たちは、その花を、ただただ愛でていていいのか。ましてや摘み取るような事があっていいのか。否!僕たちも、50年後の未来に向けて、種を植えなければならない。』
少しだけ、未来に対して為すべき何かが見える気がします。

